たいていの人はためらいもなく蝿を叩きつぶす。 その他の人たちは、それが面倒、あるいは主義に反するという理由で、このを無視する。

自身はこの決断をたいへん重要視している。 蝿を叩きつぶすにあたり、あらゆる実際的及び道徳的側面を考慮しなければならない。 時間のかかるプロセスだ。

が、それも実践なくしてなんの意味があろう。 最終的にぼくは哀れな生き物を優しく叩きつぶし、その日ずっと自己嫌悪に陥いって過ごすはめになるのだ。